舘澤 由佳
たきざわのひと takizawanohito
File 010
BODY MAKE STUDIO Aguichan(アギシャン)
舘澤 由佳
File 010
BODY MAKE STUDIO Aguichan(アギシャン)
代表
舘澤 由佳
公開日:

はじめに

盛岡・滝沢のダイエット・ボディメイク 岩手初の託児付パーソナルジム
託児付だからこそダイエット&ボディメイクに安心して集中できる

ボディメイクスタジオ アギシャン
舘澤 由佳 (たてさわ ゆか)
【家族】 7歳年下の旦那様 子ども3人
【好きなもの】 お酒全般/お刺身/お肉/チョコレート
【座右の銘】 一期一会
【以前の職業】 生産管理事務/経理事務/至って普通のOL

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INTERVIEW

どのような子どもの頃や学生時代を過ごされてきたのか、お聞かせ下さい

出身は花巻市です。姉2人と兄がいる4人兄弟の末っ子で育ち、競争社会なので負けず嫌いでしたね(笑)
私の母がママさんソフトをやっていて、全国大会とか出るくらい強かったんです。それで、1番下っていうこともあり、母から離れたくなくて大会とかにもいつも一緒について行ってました。姉2人と兄も、ソフトと野球をやっていて自分もソフトをやっていました。ポジションは、ピッチャー。父もまた、地域のコーチをやっていたこともあり、スポーツは身近にありましたね。
他には、水泳もやっていたんですけど、水泳をしている時が実は1番太っていて。スイミングでものすごく泳ぐんですよ。で、お腹が空いてしまうから、反動で食べてしまう。それでも、バタフライの選手でしたね。市の大会で3位とか、でも太っていて(笑)動き回れるデブって言ってました。
小学校、中学校でドンドン大きくなり、姉のおさがりの制服が入らず、末っ子にして新しい制服を買ってもらう状態でした。今思うと、お母さん制服を最後で買わせてしまってごめんなさいですけど(笑)でもやっぱり、その時期にはぽっちゃり体系で嫌な思いもいっぱいしました。だから、高校に進学した時に目覚めるというか、周りが変わっていくので(彼氏ができたりオシャレに興味をもったり)そこで“あ、私このままじゃダメだ”ってなって。
でも、そこでまずやってしまったのが、無理なダイエット。お菓子だけ食べてご飯を食べない、単品だけ食べるとか。で、確かに痩せるんですけど、変なダイエットをするのでゲッソリしちゃうんですよね。不健康。大人になってからも、サプリ、置き換え、脂質カット、などを試してはその都度痩せられたけれど、やっぱりぽっちゃりで…。当時、レゲエダンスをやっていたけれど、そういう現場でも、やっぱりスタイルの良い子は優遇されるんですよ。で、そこでもまた嫌な思いなども経験して。コンプレックスを抱えたまま過ごしてましたね。

1.子ども時代

2.ジャマイカ
「岩手初の託児付パーソナルジム」の開業にいたった経緯を教えてください

1人目妊娠中に、友人が胃がんで亡くなり、その友人に「食事に気を付けなければダメだよ」って言われたんです。無くなる1ヶ月前でした。その後無事に1人目を出産した後に、亡くなった友人の言葉が残っていたので、食事に気を付けて生活をしていたら、大体3~4ヶ月で20㎏痩せたんですよ。妊娠前よりも少し痩せましたね。
その後、実父が62歳と言う若さで亡くなって。検査入院と言われたわずか3ヶ月後に。長生きすると思っていた父だったので、その時に「人っていつ死ぬか分からないな」って実感しました。
これらのことがきっかけとなって、もし今旦那さんが突然亡くなってしまったら、自分はこの子ども達をちゃんと育てていけるのだろうか?とか、色々考え、そこから、旦那さんや親に頼るような人生ではなくて、ちゃんと自立して自分で稼ぎたいなと、思うようになりました。
その後、2人目を妊娠したんですが、この子は出産後に亡くなってしまいました。当時働いていた会社で産休を取得していたので、家にいたけれど気持ちも沈みこんでしまい。「何か新しいことでも始めようか」とぼんやり考えていた時に、空中ヨガと出会ってハマりましたね。その空中ヨガに通いだした時に、資格取得できますという募集があったので、一念発起して資格を取得しました。それを機に、今までのOLの仕事を辞めて、このヨガスタジオでしばらく働いていたら、やっぱり自分の中で「起業したい」という気持ちが少しずつ大きくなっていきました。
そんな中、4人目を妊娠中に切迫早産で入院を余儀なくされてしまったんです。丁度コロナ禍ということもあって、家族の面会が一切できなかったし、入院直後に“進行早産”と診断されたので、24時間完全個室にずっといることに。妊娠7ヶ月で入院したから、出産までの3ヶ月はずっと1人。「子ども達にも会えないし、家にも帰れない、この3ヶ月どうしよう」と。入院した1週間は、ただただ泣き暮らした感じだったけれど、このまま泣いていてもどうしようもないって気持ちを切り替え、“退院後、もし開業したらどうしようか?”ということを考えるようにしたんです。時間はあったので、PC片手に今のこのアギシャンのロゴを試案してみたり、開業予算はいくらかかるのかとか計算してみたり。旦那さんには、ネットで注文した本を病院まで届けてもらって、ずっとベットの上で色々学んだりしていました。栄養学とかは病院で学びましたね。

友人の胃癌での死、息子の死、父の死、末っ子コロナでの進行早産3カ月入院確定、この出来事が舘澤さんのターニングポイントなのですね

全部、タイミングなのかなと思います。この出来事がなかったら開業はしていなかったと思います。
4人目は結局早産で、2~3ヶ月はNICUに入ってました。だから、その間も時間があったので、旦那さんに入院中に考えていた開業の事を話しました。開業に掛かる費用から全て、自分はこういうことをしたいけれど、でも不安もあることも正直に話しました。そうしたら、「失敗してもいいんだから、まずはやってみればいいじゃん」って。「でも、滝沢で開業して、人が来るか分からない。盛岡でやった方がいいのかなとも悩んでいる。」って話した時に、「例えばだけど、好きな飲食店があって、そこには駐車場もないし表通りでもない。それでもお店にはお客さんがいつも来てるよね。そういうことじゃない?」って背中を押してくれて。「ゆかちゃん(旦那さまからそう呼ばれているそうです)が人を惹き付けていれば、どんな場所でも人は集まってくるよ」と言ってくれました。
そこからですね。まずは実績も何もないので、それを作らなければと思い、友人に自分の思いや考えを話し「まずは2ヶ月私と一緒にやってみない?」って声を掛けました。そこに賛同してくれた友人のお陰もあって、それを機にまた何人かに声を掛けて行ったら「自分もやりたい」となり、皆また予想以上にきれいに痩せていって。ビフォーアフターの実績がようやく出来上がってきたので、プレオープンという形で募集をかけたら、予想以上に多くの方に来てもらえたんですよね。なので、正式オープンの時はもう凄くて(お客さんの人数が)。思い描いていた形でスタートがきれました。正式オープンまでの実績をきちんと作れたのもまた自信につながったし、何よりも、無いところから始めるという事に関しての不安ばかりを考えるのではなくて、「やる」と決めたら動く。これが良かったと思います。

3.ハロウィン
3人の育児と経営の両立は大変だと思いますが、その両立の秘訣を教えていただけますか?

仕事との両立に関しては、会社員時代は子どもが熱を出した時でも、迎えに行くのはほぼ「自分」で旦那さんに行かせたことは1回も無かったです。それが、自分が経営者になってからは、そんなこと言ってられないし、そもそもできないので、だから旦那さんに言うのは「あなたには有給休暇があるでしょう?」って(笑) ただ、今の風潮として男性(夫)側の有給は取りずらいですよね。でも、それって違いますよね。「私は1人で仕事をしているから、自分が働かなかったらアギシャンの収入はゼロになってしまう。でも、あなたは会社員で他にも社員さんはいる。有給取って!」ってケンカをしたこともありました。ただ、そういう紆余曲折を経て、旦那さんもすごく協力してくれます。それでも、どうしても無理な時は旦那さんのお母さんが手伝ってくれますし、ファミリー皆が協力して成り立っていますね!そうじゃないと逆にやっていけないので、有難いです。なので、声を大にして言いたいです。世の中の旦那さん男性は、もっと女性側・妻側に気を配るべきですね!
ただ、反面思うこともあって。「自分はダメな母だな」って。
子どもが熱を出した時に、止むを得ず病児保育を使わせてもらって、すごく有難かったけれど、熱があってぐずついている子どもと離れる時「私は果たして良いお母さんなのか?」との思いがよぎったのも事実で、そういう葛藤があるのも本音です。土曜日はやっぱりお客さんの予約も多いので、子どもが休みでも仕事をしなければいけません。子どもには「ママお仕事なの?」って言われることもあります。だから今は、年に数回はお店を休んで、子どもと一緒に出掛けたりして時間を作るようになりました。遊ぶ時は遊ぶ!その分のリカバリーはもちろん忘れずに、翌週は日曜日もお店を開けたりして(笑)そんな風にメリハリをつけてやれるようにもなってきてましたね。最近はそういうことを考えすぎないようにしていて。「お母さんこれから稼いでくるからね!」って笑顔で子ども達に接するようにしています。
それからこれは、働く母としての思いでもあるんですが、このコロナ禍で誰しもが経験したことの無い事態で、必死に生活をしてきました。ただ、うちみたいに保育園を利用しないとやっていけない家庭が多い中での、保育園が連続休園という状況は本当に大変でした。(うちは下2人の保育園が別々です)なので、こういう状況下の時ほど、行政機関などが連携をしてリカバリーなどを行って欲しいと、切に願います!

滝沢でご活躍する女性経営者として、御社の経営方針を教えてください。

経営のモットーは【人に愛を持つこと】ですね!
マンツーマンだからこそ、誉めて伸ばした方がいいタイプなのか、少し大変な方が頑張れるタイプか。おっとりなのかせっかちなのかを、じっくり見極めます。
私は大会に出たわけでもなければ、何かの受賞経験もありません。それでも私のところに行きたい、そう思ってもらえるように、一人一人に寄り添ってしっかり結果を出す。シンプルにこれだけです。そうは言っても、人生経験からいったらまだまだひよっこなので、年上のお客様には、相談をしたりアドバイスも頂いていました。子育てのことなども。そういった意味では、アギシャンはお客様みんなで作り上げているアギシャンだと思っています。幸せですね。本当にお客様にも感謝です。
ダイエットやボディメイクと言うと、どうしても見た目の若さなどにに意識がいきがちですが、“健康にどう歳を重ねていくか“だと思っていて。お金があっても、時間があっても、健康じゃなきゃ何もできないんですよね。【健康は資産】これに尽きると思うんです。見た目は標準体型なのに、実はコレステロール値が高いとか、健康診断で何かしらにひっかかるのは40代からだと、お客様がおっしゃっているんですよ。だからこそ、さっきの話に戻りますがしっかりと結果が出て、お客様から「アギシャンに通って人生が変わった」とか「数値が激変して、お医者さんも驚いていた!」などの話を聞いた時は、この仕事をやって良かったと、心底思います。お客様自身が変われたことで、心(メンタル)が変わり自信につながりポジティブになる。そして、ご家族もいつの間にか健康志向に変っている。旦那さんの方が痩せた!という話は良く聞きますから(笑)

今後アギシャンさんが目指している目標などはありますか?

4人目が生まれた年に開業したので、3年目になりました。
こういうパーソナルトレーニングをやってみたいけれど、一歩が踏み出せない。お値段が高いから二の足を踏む。そういう方って多いと思うけれど、やるに早いに越したことはないですね(笑)その一歩を踏み出せない方をどのように取り込むか、が課題だと思っています。
今、お客様で40代後半の方が1番多いんですよね。ちょうど子どもの手も離れてきて、少し自分だけの時間も持てるようになった。今後の自分の人生に向けて・・・と言う風に思うみたいです。50,60歳代の方が実際にトレーニングを実践して「年齢だから身体は変わらないと思っていたけどこんなに変われるなんて!」って喜ばれるので、きれいになるのももちろんですが、万人に訪れる「老後」というものをいかに愉しく過ごせるか、というのをもっと広めていきたいです。
老後に旅行たくさんしたいとか、庭の土いじりを楽しみたい、孫の世話をしたい、親を介護するかもしれない。いづれにしても健康で筋肉がないとやれないですからね!
他にも、これからしたい事として、自分の分身となるトレーナーの育成。ゆくゆくは経営の方だけをやりつつPREMIUMキャラでたまに指導したいです(笑)そして、育てたトレーナーからレッスンを定期的に受けるというのが夢です!同じような子育て世代の女性の方で、起業したいけど不安。家族の反対がある。自信がなくて踏み出せない。という話をよく聞くので、そういう方が一歩踏み出せるような事業を、自分の経験を基に何年後かにはしていきたいです。経営については、何のノウハウもなく顧客ゼロでスタートしているので、最初は個人経営をしている従妹にも相談しました。そこから、商工会やいろいろな機関を利用して、現在も手探りで日々奮闘しています。

4.スタジオ
最後に、女性経営者として、女性へ向けてのメッセージをお願いします!

私は学生の青春時代に太っていたので、今も油断するとすぐ太ります。旦那さんが7歳下なので「あいつの奥さんばばぁだな」なんて言われないためにも、お客様の見本でいるためにも、日々食事と運動は意識していますし、毎日通勤で10キロ歩くのもそのためです(笑)
可能性は無限大です。一人では無理でも、周りのサポートとやる気があれば叶うと信じています。
共働きが当たり前の現代で、女性は我慢ばかりせず、やりたいことはやって欲しいと思います。昔から言いますよね、“案ずるよりも生むがやすし”悩む時間は勿体ないです。確実に年齢は重ねていくんですから。もちろんこれはダイエットにも言えますが、やりたいことをやってる女性は、絶対輝いて綺麗になります。年齢や立場に関係なく、女性のみなさんにはもっと人生を楽しんで欲しいですね!

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