平野 雄司
たきざわのひと takizawanohito
File 004
株式会社 ぼびん
平野 雄司
File 004
株式会社 ぼびん
代表取締役
平野 雄司
公開日:

はじめに

写真やイラスト、企業ロゴなどからオリジナルの刺繍入りアイテムを制作する、オーダーメイドの刺繍屋です。

■設立年月日:平成23年4月
■従業員数:5名

外観

INTERVIEW

幼少期や学生時代のエピソードなどをお聞かせ下さい

出身は八幡平市。旧西根町。小さい頃から布や服に興味があったわけではなかった。小学校時代は、ちょうどファミコンが流行った時だったけれど、自分はそのファミコンではなくてラジコンに興味があってそれに夢中になった。作る方が好きだった。2台くらい作ったかな。その頃のラジコンは高価だったから、そんなに買ってもらえるものじゃなかったから。ミニ四駆じゃないよ、コントローラーで動かす大きな車の方だよ(笑)全部ひと揃えしたら云万円はかかる物だったからねぇ。それを1週間くらいかけて作ってね。そうやって作ったりいじったりするのが好きだった。
小学校の頃はスポーツとか何もしていなかった。でもスキーはやっていた。地元だから授業でスキーもあったし。スキー山なんてなかったから、裏山にそのまま行って滑るんだよ。
生徒会長はやったけれど、それくらいだね。とは言っても、1クラスしかない小さい学校のね(笑)

幼少期
学生時代に夢中になったことなどはありますか?

中学生になってサッカーを始めた。きっかけは、皆がサッカー部だったのもあったかなぁ。その頃はまだJリーグは始まっていなくて、キャプテン翼が流行っていた。Jリーグが始まったのは、自分が高校の時。ヴェルディ川崎が全盛期で、岩手県営運動公園に見に行ったね。それからずっとサッカーが好きで。その影響で、小学校5年生の息子もサッカーをやっている。でも、自分が熱くなっているだけかも、追っかけだね(笑)この日焼けにしたって、追っかけ焼けだし。練習試合があれば、県内あちこちを一緒について行ってるよ。ちなみに、この前は宮古市。朝が早くて大変なんだけれど、楽しくて。そのために働いてるようなもんだ(笑)

中学生
株式会社 ぼびんの創業のきっかけをお聞かせ下さい

社長になりたいっていうのは、子どもの頃からの夢でずっとあった。だけど、サラリーマンになったからといって、社長にはなれないということが分かって、その勤めていた会社では。大人になってから気付いた(笑)ということは、自分で開業しなきゃダメだなとなった。
最初はミシンのメーカーの会社に勤めていて、その後刺繍のソフトのメーカーに勤め、日本全国のこういった加工屋さんに営業で回った。その時に、これはもう自分で起業した方がいいんじゃないかなぁと思って、開業したのが11年前。東日本大震災の年。
友人達は驚いていたけどね。高校時代のバイトは長続きしなくて、色々なところで働いていたから。“飽きっぽい”って思われていたんじゃないのかな。実際は、その時のバイトの内容が面白くなかったのもあったからだけど(笑)そんな奴が、10年以上もサラリーマンをやってこうして開業したらね、驚くよね(笑)

創業から今日まで、1番ご苦労をされたことはどの様なことがありましたか?

資金面だね、やっぱり。開業して4年までは、本当に食べていけなかった。仕事がこうして入ってくるようになるまでに、4年かかったね。販売もできる店にしようと思って建てたけれど、今じゃこの段ボールの山(笑)“雑貨、洋服始めました”なんて宣伝しておきながら、今はそれらが店の隅っこに追いやられてしまっているしね。(店内所狭しと、受注の段ボールが積み上げられていました)有難い事に、小・中・高等学校いろんな学校からの受注が重なった。盛岡や北上などの、スポーツ用品量販店の業者がお客様だから、そこからの注文がね。もちろん個人のお客様の注文もある。地元の中学校の吹奏楽部や野球部とかは、直接注文が来るよ。
ただやっぱり、新型コロナの影響があって去年は本当に苦しかった。うちだけじゃないだろうけれど、久々に大変さを味わった。土曜日のたびにここに来た齋藤さん(本会指導員)に、「なぁ、どうする?」って言ってたもの(笑)でも、商工会には助けられたよ。補助金の事とか様々やってもらえたから。今は少しずつだけれど、地元のイベントや大会も始まったから、仕事が増えてきた。受注も戻って来た。今までそういったものが、このコロナ禍で自粛になって無かった分、フィーバーしているように感じる。開業当初からの4年間、あの大変な時を知っているから“どうにかなる”っていう気持ちもある。1回どん底を見ているから。それよりは(コロナの影響があっても)やれているから、そう思える。そうでなければ、解散だったね、平野家解散(笑)
実は、開業して4年目の時に、子どもも2人目が生まれた。でも、その頃がピークでね。「借りていた家の家賃もこのままじゃ払えない」って奥さんにも言われて、1回お互いの実家に戻ったこともあった。いわゆる別居ね(笑)そこでいろんなことを考えて。その当時自分は、奥さんに対しても「大変」とか「辛い」ってことは、喋らず黙っていた。だから当然奥さんも分からないままで、不安だったと思う。自分が始めた店だから、責任があったし、”自分がやらなければない””何とかしなければ”っていう思いが強かったから、余計にね。そんなこともあったなぁ。

困難を乗り超えたいま、今後力を入れていきたい事などをお聞かせ下さい

地域貢献だね。地元の大学生や若い人とも連携、今風で言うなら“コラボ”をして、アパレル系をもっと盛り上げていきたいと思っている。やっぱり若い人の意見や思い、考えを聞いたりもしてね。せっかく商工会にも助けられたし、恩返しでもないけれど(笑)
昔は、こんなこと全然思わなかった(笑)商工会に入ってはいたけれど、内心“商工会なんて・・・”ってどこかで思っていた。ただ入っただけで、商工会を活用しようとも思わなかったし、自分だけで頑張ってしまっていた。気持ちに余裕が無かったんだと思う。でも、齋藤さんが個人的に興味を持ってくれたことがきっかけだなぁ。そう言えば、最初は俺のことを「なんか怖い人なのかなぁ」と思っていたけれどって、いつだったか言われた(笑)だけど、そうやって興味をもってくれたから、いろいろな面でこちらも話が出来た。「社長、ちょっといいですか~」って、何度も来てくれて。”土曜日しかダメだよ”って言ったら、本当にほぼ毎週のように来てくれた(笑)結果的に助けられたから、本当に。

刺繍
商工会の話題が出たので、商工会に対する要望などはありますか?

こうしてコロナも段々に収まってきそうだし・・・飲み会しますか(笑)そういうのがいいよね。せっかく商工会に入ったんだから、会員同士の繋がりと言うかね、知り合いたいっていうのはあるよ。飲み会とかを行って親睦を深めたり、そこからまた、仕事の繋がりが持てると思うし。やっぱり繋がりは欲しいね、会員同士のネットワークだったり、情報交換、異業種との交流とか大事だと思うよ。聞いてみたいこともあるし、直接話したいね。頼むね!

店内
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