熊谷 英典
たきざわのひと takizawanohito
File 002
株式会社上の島
熊谷 英典
File 002
株式会社上の島
代表取締役
熊谷 英典
滝沢市商工会副会長
公開日:

はじめに

社是・社訓
『企業は人なり 継続は力なり』
会社を創り伸ばしていくのは人である 立派な人が立派な会社を創る コツコツ続けることが技術と信用、信頼を育む 正攻法に勝る奇策なし
●土木一式工事 建築一式工事 造園工事 舗装工事 給排水工事

一級土木施工管理技士 11名

一級造園施工管理技士 3名

一級建築士 1名

一級建築施工管理技士 1名

一級管工事施工技師 1名

一級技能士(造園) 1名

従業員 32名

昭和33年4月 土木請負業熊谷英雄として個人創業

平成17年10月 代表者変更 熊谷英典
熊谷 英典

INTERVIEW

どのような子ども、学生時代を送ってきたのかをお聞かせ下さい。

典型的な昭和の男の子。学校帰りは暗くなるまで遊んだ。
毎日、小学校近くにあったおもちゃ屋へ寄り道をし、野を駆け回り、川原に降りて遊び(時々川にも落ち)そのまま帰る。玄関の前でランドセルを忘れてきたことに気が付くが、取りに戻るのが面倒くさいから黙っている。でも、子どものすることだから直ぐにばれてしまい、父親には烈火のごとく怒られ渋々また小学校近くの橋まで、ランドセルを取りに行ったことが何度もあった(笑)小学校高学年になってからは、野球などもしたがテレビ。特にドリフターズの番組が大好きで、テレビにかじりついて見ていた。
中学に入学してからは、運動しかしていなかった。バスケットボール部に所属し、大学まで続けた。高校3年時には、高総体で準優勝にもなった。
引退後、今までずっとバスケしかしてこなかったから、急に時間が出来てしまって遊びだした(笑)これが人生のターニングポイントだったね。部活動以外の楽しいことを知ってしまったわけ。バイクとかね(熊谷社長は大のバイク好きです)大学へ進学する情熱も余りなく、どちらかと言えばすぐに働きたいという“大人願望”が強かった。だから、自分が学生時代に働いている同級生を見ると、羨ましくて仕方がなかった。

熊谷 英典
高校卒業後大学へ進学されていますね。夢中になったことはありましたか?

京都の大学へ。きっかけは、高校時代の修学旅行。今の様に関西地方ではなくて、北関東。しかも2泊3日。そういうこともあって、関西への憧れがあった。進路を決めた時に、とにかく京都へ行きたかった。家業が植木屋をしていたことも関係していた。
大学時代は友人に恵まれた。大学の4年間はバイクしか乗っていなかった(笑)ツーリングを楽しんだり。

実は、自分が大学に行っていたころ、家業が一番厳しい時期だったから、仕送りがもらえなかった。自分で稼がなければならなかったから、いろんなバイトを経験した。1日8時間も働いていた時は“うちに就職しないか?”なんてことを言われたこともあった。バイトで得たお給料は、バイクのパーツの費用にもなっていたね。

京都には、歴史ある神社仏閣が至る所に存在している。観光客でにぎわっていないようなお寺などを見つけては、ふらっと境内へ入って休んだこともあった。そんな時、物好きな和尚や宮司が、お茶を出して説法まで聞かせてくれた。バイクが好きではなかったら、こんな貴重な体験もできなかったね。自分の原点はここにあると思っている。

熊谷 英典
大学卒業後は家業を継がれたのですか?

父親から「後を継げ」なんて言われた事が無かった。子どもに苦労をさせたくないという思いもあったのだろう。「お前は好きなことをやれ」ということを、ずっと言われていた。また、自分自身も進路の相談をしたことは一度もなかった。だから、大学卒業後は、家業を継がずサラリーマン生活を6年間送った。建設工業新聞、盛岡タイムスです。こう見えて新聞記者をしていましたよ(笑)
きっかけは、父親の会社に行った時に、建設工業新聞に求人広告が出ていたから。(建設)業界新聞の他に一般紙も作っている会社と知って、就職試験を受けて入社した。6年間のほとんどが、たまたま業界担当の記者で、建設関係の取材がメインだった。たまに、盛岡タイムスの取材を手伝った時もあった。選挙の時は人手が足りなくなるから、盛岡タイムスの腕章を付けて選挙報道や取材をした。
でも、苦痛の時代だった。文才がなかったから(苦笑)“筆が遅い”“原稿が遅い”“美辞麗句にこだわりすぎて内容がまとまっていない”と、よく編集長にも言われた。“長げぇよ熊ちゃん”が編集長の口癖だったね。

㈱上の島に入社されたきっかけ、その経緯をお聞かせください

28歳の時に㈱上の島に入社して現在に至っています。
きっかけは、全くその気がなかったけれども、誰しも自分がそのくらいの年代になると、親も歳を取ってきていて、体を悪くした、怪我をしたというのが出てくる。そういう時に“やっぱり継がなきゃないかな”と宿命的なものを感じた。
変な言い方だけれど、会社の経営者としては、自分の家族を2番目にしたとしても、社員とその家族を考えなきゃいけない。そういうのを考えた時に、父親が1人でやってきた会社が、父親に何かあった時に、社員が完全に路頭に迷ってしまう。そうしたら、やっぱり自分しかいないなとなった。
このことを父親に話した時に、ずいぶんと喜んでくれてね。でも、無理はするなと。後は、きちんと今の職場を円満退社してきなさいとも。それから、当時の上司に、こういった理由で家業を継ぎたいので辞めさせてくださいと話したら、慰留されたので、1年間引継なども兼ねて留まってから、退職をした。
実家を継いだけれど、何ができるわけでもなかったので、まずは現場から。最初に取り掛かったのが、除雪用のスノーポールの撤去。道路維持の路線管理を、うちの会社で行っていた関係だったが、とにかくその路線が長い。他の社員は忙しいからと、トラック1台預けられて、3ヶ月それを続けた。そののち、手に職が無かったから営業に。それからは営業一本。

建設業の魅力そして課題をお聞かせください

建設業の景気が悪くなったのが、平成10年頃。公共工事不要論のような風潮もあり、どんどん地方の中小企業が疲弊していった。地方の公共投資も必要がないといった流れもあったから、どん底の時代に入っていった。また、岩手県の建設業界に対する負のイメージもあった。うちの会社のように、土木や造園を営んでいても、“建設業“と一括りになってしまう。そういう時代が長く続いてしまった。そうなると、給料も上がらない、ボーナスもない、そんな状況で働く社員も麻痺していく。結果としてモチベーションも上がらず、漫然と働いてしまう。だが、建設業や公共事業ってそういうものじゃないよね、という話が上がり始めたさなかに起きたのが、あの東日本大震災。
当時の東北地方整備局長が、「我々の手となり足となって働いてくれるのが地元の建設会社だ。その会社をつぶしてはならない」という鶴の一声があったそう。それがいわゆる、公共投資、公共工事の品質を向上させ、ひいては国民のためになる、これが品確法にもなった。また、それらを担っていく者が、雇用確保・技術研鑽に努めていかなければ、日本の経済は衰退する。ということから、担い手三法になった。皮肉なことに、東日本大震災が中小建設会社を生き返らせた。
日本の公共工事は高いと言われるが、品質が保たれたものを作っているから。それらを作っているのが、全員社員や職人、つまり「人」だから。高速道路も橋も建物も道路も壊れない。それって、安心安全の証なのだけれどね。
建設業界が疲弊していた時代に、自分達が世代交代したものだから、同世代の社長連中は、自分の子ども達には継がせたいと思えない人が多い。だから、今の課題と言えば後継者問題になるだろう。

社長に就任されて16年。心がけていらっしゃることはどのようなことですか?

不思議なことに、社員が一生懸命かどうか、仕事に嘘がないかが分かってくるんだよ(笑)これはなにも特殊な能力じゃない。要するに給料を払う側の立場になれば、皆分かるんだよ。だから、家族同然の社員とは直球で接したいと思っている。駆け引きとかは無しで。
後は、黒字経営が出来ているうちは、地域貢献は事業を行っている者の義務だとも。子ども食堂みたいなものを、商売としてではなく企業奉仕としてできたら。子連れ出勤をさせるとか、企業内託児所。それが理想。
社食までは用意できないけれど、ケイタリングを頼んで、社員にはご飯だけ持参してもらう。お昼になったら、自社の会議室を開放してそこで皆でランチをする時間が取れるのもいいよねって思ってはいるんだけど…中々ね。後はどうしても職業柄、現場と事務所となってしまうから、みんな一同にというのが現実的な話ではなかったりもしてね。社員の公正性の問題もある。難しいよね。

熊谷 英典
今後御社が力を入れていきたいことをお聞かせください

女性の活躍が言われているけれども、それを阻んでいるのは実は企業だったりもする。本当の「共働き」って、フルタイムで働いて、家事をこなすのも余裕で出来ることだと思っていて、それを行えるようにするのが、企業の責任。だけど、日本はまだそういうのに慣れていなければ、成熟もしていないから「女性だけ優遇されている」と言う者が出てくる。もちろん全てを“いいよ、いいよ”で受け入れるのが優しさではないとも思っている。
デジタルが進みIT化が加速している今は、男女の性別で出来ない仕事はないと思っている。重機のオペレーターとか。施工管理も、女性の方が向いているなぁと感じることがある。間口が広いし、男性のようにこだわりが強すぎる面も少ない。専門的な勉強云々よりも、会社に入って預けられた仕事に対して“やってみよう”という気持ち、好奇心が実は女性の方が強い。
後はやっぱり“やってみて良かった”という経験を積ませることが大切。誰しも失敗はしてしまう。その時にそれを許容し、一緒に育てていくスタッフや先輩が大事になってくる。男性だからこの仕事、女性だからこれという枠は作らずに、やりたいと希望したことをさせる。仕事の向き不向きは関係ないからね。

だからこそ、結婚や出産が女性にとってハンデにならない環境を作るのは企業の務めになる。企業内託児所とかはその最たるもの。やる気のあるお母さん達が、全力で仕事にも向き合える、そういう職場にしたいなと。誰かが優遇されるというのではなくて、都合があったらその人の都合を聞くのは当然のはなし。例えば、子どもや家族に関わることで、社員が申し訳なさそうにするのも不要。母親が、子どもの急な体調不良に対応できないのなら、父親が対応したっていい。そういうのが当たり前に自然になって欲しい。
そういう理想論を“専門家”にうっかり話してしまうと「就業規則に盛り込んだり、明確なルール化にした方が良い」と言われるが、むしろ不要と思っている。社員の権利をルール化しすぎると、相殺原理で義務を監視するルールが必要になる。そういうのが、私はイヤなのです。

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