山本 栄量
たきざわのひと takizawanohito
File 007
株式会社 山本興業
山本 栄量
File 007
株式会社 山本興業
代表取締役 
山本 栄量
公開日:

はじめに

■会社概要
名 称 株式会社 山本興業
設 立 平成23年1月11日
資本金 300万円
■事業内容
一般廃棄物収集・運搬業
産業廃棄物収集・運搬業
特別管理産業廃棄物収集・運搬業
■所在地
岩手県滝沢市土沢304番地7
■沿革
平成8年4月に先代「山本 榮五郎」が岩手県滝沢市で一般廃棄物収集・運搬業として、「山本興業」を開業(個人事業主)し、古紙などの段ボール回収から事業を開始した
平成9年4月に滝沢市より、一般廃棄物収集・運搬委託業務の請負を開始
平成10年に一般事業者向けの産業廃棄物、一般廃棄物回収事業に進出
平成23年1月に法人成りし、株式会社山本興業を設立。現代表が代表取締役に就任
現在に至る
■理念
廃棄物に対して、「Reduce / 減らす、Reuse / 繰り返し使う、Recycle / 再資源化する」の3Rに応えるために、何よりも環境保全に積極的に取り組み日々努力を重ねております。
私たちは、きれいな街づくりを地域の皆様と共に考え、創意工夫と実行力で、美しい地球を守るために末永く愛されるヒーローでありたい。
今後とも、社会に貢献することを常に目指し、快適な環境と空間づくりをこれからもご提案してまいります。

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INTERVIEW

どのような子どもの頃や学生時代を過ごされてきたのか、お聞かせ下さい

生まれてからずっと滝沢で育ち、滝沢小学校から滝沢中学校で学びました。
その頃の滝沢小学校が新校舎になった年で、入学してからきれいな校舎で学び、滝沢中学校もその後3年経ってから建った校舎でしたので、ここでもきれいな校舎で学べました。
小学校の思い出は、子供会で出場したチャグチャグ馬コまつりのちびっ子相撲大会で優勝したことかな。子供ながらにあの相撲のまわしは恥ずかしかったです。でも球技に関する運動神経悪かったので、野球やサッカーなんか不得意でしたけど、ドッチボールは相撲のすばしっこさを生かして、ボールを避けるだけは得意でしたから、最後まで残る子供でしたよ(笑)
部活は中学生から柔道をやっていたけれど、球技が苦手だから柔道っていう消去法で決めました。体格的なこともあったかも。基本運動があんまり好きではなかったから本当は柔道が好きじゃなかった(笑)。でも滝沢市内の中学生の中では1、2番を争う中学生でした。普段は活躍するとか目立つとか、そういうのはあんまりなかったけど、絵画や版画、習字は入選するほど得意でした。
熱中したことと言えば、家の中でプラモデルでした。ガンプラから始り車と戦艦、汽車、日本の名城なんかも色々と作りました。手先は器用だったので、研磨から塗装にかけて本気で作っていました。凝るとのめり込むたちだったので、結構オタク気質だと思います(笑)
後はゲームにハマっていました・・・ファミコンとか。でも、ゲームと言っても人と同じ流行りのことをするのが嫌でしたので、当時流行っていたスーパーファミコンに対抗して、私はセガから発売したメガドライブ押しでした(知っている人は少ないかも)。将来ゲームのデータ容量の増加が進む中、セガは新機種を発売するのではなく、メガドラブにこだわり、拡張化パーツが1個1個増えていきます。カセットからCD-ROM、カラオケ機器、追加ハードウェア機器、その後「メガドラタワー」と呼称され、本機器を愛好するものによって親しまれています。このオタク気質のおかげで、ここで私は自信あるチャレンジ精神もやりすぎると大迷走になることを学びました(笑)。これを語ると長くなるので、詳しい内容はネットで!
そんな感じで高校時代は部活よりゲームでして、音楽や歌も大好きだったので、友達とカラオケに行って遊んでばかりでした。お陰様で文化祭のカラオケ大会では、優勝させていただきました。知らないと思うけれど、国分通りのカラオケボックス「スカット」で鍛えました(笑)しかし、声は美声でも体重が100㎏もあったので、女の子には全くモテませんでした(笑)この後、思春期の私は「この体系だとヤバイ!女の子を知らないまま終わる!」と思い、決死のダイエットを試みます。結果、35㎏減に成功。心機一転、夢ワクワクしながら東京への進学を決めることとなりました。

高校卒業後はどのような道に進まれたのですか?

物を作る、ものづくりが好きだったので、設計の仕事がやりたくて、建設系の設計の専門学校へ進学しました。手書きで図面を書いたり、CADで図面を作ったり、図面から縮小した建物の模型で作ったりして楽しかったけど、建物の構造計算や測量計算を覚えるのが大変でした。設計がやりたくて、建築の勉強をしていたけど、やっぱり現実に就職になると、大手は大卒ではないと就職が出来なくて…それでも建設系の会社には就職しました。建設の材料メーカーに。
専門学校にしろ、就職にしろ、東京に出て学んで働くのが夢でした。自分の中で、そういうビルがあって、都会で働くっていうのが田舎者の夢でした。当時見ていたドラマの中で、オフィス街で働くシーンとかあると、ビルに囲まれている場所とか、何十階っていうビルにエレベーターで上がっていって…みたいな。憧れでしたね。でも、その憧れの場所で就職してみて、すごく大変だった。人が各地方から東京へ来るから、くせとかも違うし、営業するにしても、最初は高層ビル等の建設現場に行って勉強してから内勤に入り、会社の製品や仕入、経理を覚えたのちに営業になったけど、建設の内装の材料を扱う営業だったので、客先が職人気質の方が多く、口が悪い人も多かった。5年働いたけれど、ストレスが溜まりすぎて倒れたこともありました。やっぱり結果、数字だからね。今みたく労働時間がきちんとしているわけでもなかったし、夜の23時まで働くとか、休みも雰囲気的に取れなかったし、今では考えられないけど。「何でこんなに忙しい時に休むの?」と言われたこともありました…それこそパワハラだよね(笑)
帰省することもままならなかったので、最終的に体にも心にも無理をして、「自分、これ一生やって、働いていくのか??」と悩みました。そんな時に私の父が50歳で、それまで勤めていた会社を辞めて、突然この仕事(廃棄物収集運搬業)をやるって言い出して。バブルが崩壊後、父は当時勤めていた会社のリストラを選別する側の業務になってしまい、その作業が本当に耐えられなかったみたいで、辞めて手っ取り早く出来るこの仕事を始めたみたいです。とにかく人に使われる仕事より独立したかったみたいで、何でこの仕事だったのかは、将来的に『無くならない業種』だからみたいです。あとはやっぱり、自分が東京で就職してからも「帰って来い」としつこく言われていたし、顔を合わせる度に「サラリーマンなんてつまらないから辞めたほうがいい」と言われ続けていました。とにかく帰省する度に言われ続けたから方向性の違いで、正直仲は良くなかったです。
ただ、自分もこの営業の仕事を続けることに限界を感じ始め悩んでいた時期に父から滝沢市の5年契約の委託業務の入札が取れたから「滝沢に戻って手伝ってくれ」とお願いされました。その頃、当時付き合っていた彼女にもフラれたり、仕事にも悩んでいましたし、なんか全てにやる気がなくなっていた時期だったので、「人生逆らわず、流れに乗るのもありかな」と思い滝沢へ戻りました。

事業承継をし、家業を継いだことについてお聞かせください

平成23年に法人化した時と同時に事業承継をしました。個人事業だった12年間は、創業者である父親が代表を務めていました。なので、事業承継をしてから11年くらいになります。
起業した当初は父と母、姉、自分の家族経営でした。当時まだ26歳で、しかも、サラリーマンから自営業。ここでも休みも労働時間も関係なく働かされていたので、父とはいつもぶつかってばかりでした。父には申し訳ありませんが、経営に関しては他の人よりそんなに優秀ではなかったと思います。元々父は営業職だったので人と話すのはとても得意でしたけど、経営に関しては本当に無頓着で、労務や経理、提出書類等は苦手な人でした。そこに関しては母と私がやっていましたが、母も経理は初めてだったし、私がパソコンを使って試行錯誤しながらやっていました。私は自動車免許こそ持ってはいましたが、ほぼペーパードライバーでした。こちらに戻ってきて「トラック運転しろ」でしたから、全てが一からのスタートでとても苦労はしました。父は短気なところもあり、家族経営だから家族に対して言いたいことを言ってしまうように、従業員に対しても同じように言うので、従業員が続かなくて(泣)。私が従業員の不満の間に入るのと辞めた後の仕事のフォローをするのにはとても苦労しました。
5年後、滝沢の委託業務の入札が取れなくて、会社が赤字になった時も「税金払わなくなっていいな」みたいな強がりを言う父でした。実際そういう訳にはいかないのに黒字でなければ返済もできないし、食べてもいけない。私の家族はもちろん、従業員を守らなければいけないし、労務関係もきちんとやらないといけないし、そういう些細なことの積み重ねがあって、私が結婚した時に限界が来てしまった。これを期に私は法人化を目指して、4年をかけて赤字から資本金300万円を貯めることに専念しました。だから、法人に切り替わると同時に、その10年間の苦労から逃れたくて、先代の社長である父にスッパリ辞めてもらいました。私がそう決めて進んだことで、「もう後がない!進むしかない!」と自分を鼓舞しました。
今はもうその父も亡くなりました。自分が後悔しているのは、父から仕事を全て奪ってしまったこと。父に何かの役職をお願いしても、またトラブルや余計な苦労が増えるのも嫌だったし、私がやると決めた意地で、経営から退いてもらいました。ただ、それから一気に年老いてしまった…その後、病気になって、旅立ってしまったから、父に「少しでも仕事をお願いしておけば良かったのかな」とそこは今でも考えてしまいます。生前の父の営業力と父を慕うお客様の繋がりがあって、法人になるまでの土台を作ってくれたことに今は父に感謝しております。

法人化をして1からのスタート。大変だったことは?

先ずは資金が無さ過ぎたこと。その頃、大手企業様と新規のお取引が出来るチャンスが舞い込んできたので、最新型のゴミ収集車を無理して買ってしまいました。1台1千万くらいするので、1台買った時点でマイナスでした(笑)。トラックは燃費も悪いしメンテナンスもあるから、結構車両費の負担が大きくて、3年間はお金がなくて苦労しました。足りないときは家庭の貯金を切り崩しました。その苦労もあり、今は9台も増え、従業員は現在8名となりました。
業務は行政と民間を請け負っています。割合的には民間の方が多いです。行政は二割ほどで、残りは大手企業様のスポット回収と事業所と病院、飲食店、スーパー等の定期回収になります。他に一般家庭の戸別収集もあります。
有難いことに、このコロナ禍においても業績に影響はありませんが、従業員やその家族がコロナに罹ってしまって、それの対応の方が大変でした。酷い時は、毎月誰かが休んでいました。従業員が罹っていなくても、家族が罹ってしまい自宅待機になり人員不足で苦労しました。申し訳ないけど、出勤してくれた社員には、残業をしてもらう状態だったので、協力してくれた従業員にはとても感謝しています。他に回収先でのコロナクラスター発生によるゴミの処分方法も大変でした。コロナが死滅する3日後からではないと、ゴミが回収できなかったので、その管理と指導に追われましたし、回収する従業員も感染しないよう神経も使いました。これは現在進行中です。

法人化して始めた新事業「遺品整理」等について教えてください

いま流行の遺品整理、生前整理、ゴミ屋敷等依頼があります。
「親が亡くなって、遺品整理したものを処分したい」、「余命が後半年ほどだから片付けたい」、「息子・娘に迷惑かけたくないから終活を始めたい」という不用品処分の依頼です。
お金の心配を掛けたくなからと、体調も良くないのに、全部自分でやろうとして、無理をされる方も中におられるので、そういう時は「お子さんにも一言相談してはどうですか?」と提案することもあります。大抵は、お子さんも「ここまで育ててくれたから当然」と言って助けてくれます。ただ、こういった方々はむしろ稀で、孤独死も結構あります。不動産様からの相談の連絡があって、亡くなってすぐに整理に入ったこともあります。嫌だなと思ったのは、お客様から見積依頼があって、その家に向かった先で、親族が遺品を荒らしていた事です。金目になるものはないかと…ああいうのを見てしまうとお亡くなりなった方が可哀そうに思えました。中には「お仏壇も位牌も何もかも全部要りません、片づけて下さい」とも言われたこともあります。
不用品処分をしていて、やはり多かったのが「ゴミ屋敷」と呼ばれるような、物を溜めてしまう人の部屋です。基本的な生活がダメと言ったら語弊がありますが、人生の転機の部分で、心身に何らかのダメージを受けてしまい、物が捨てられない方とか様々です。まずは依頼者の心に寄り添いながら、作業を進める事を心がけております。以前、ある大家さんのご依頼で、住人が家族崩壊になってしまい、夜逃げ同然の部屋になってしまった、残置物の処分も行ったことがあります。親族が刑務所に入ってしまったので、使わなくなってしまった部屋の残置物の処分の依頼もあります。こういった現状を見てしまうと、自分の最後は家族に「お父さんで良かった。ありがとう」と言われる様に、きちんとした生き方をしなければと心に強く思います。

いま、最も困っていることは人材不足だとお聞きしました

求人募集をかけておりますが、なかなか応募がありません。
以前、商工会の青年部主催の、お仕事マッチングに参加させてもらった時に、この遺品整理のビフォーアフターの写真を見たいと言った応募者に見せたことがありました。実際に働いてから現場を見せるよりも、知っておいてもらった方がいいと思ったからです。嫌な気持ちになるかと心配もありましたが、普通に関心を持って見ていました。生前整理やゴミ屋敷等の片付けの依頼をされる方は、自分よりも年配の方の、相談交じりの話にもなりますので、コミュニケーションはとても大切です。
あとは、運転免許の規定が変わった影響もあります。現在の普通免許では弊社のトラックを若い人は運転出来ないのです。しかも、マニュアル車だから余計に難しい…免許がないと始まらないので、会社としては免許の取得などをサポートする体制は整っています。とにかく、若い人が定着するために興味を示す新しい事業には、どんどんチャレンジしていこうと思います。

今後御社が力を入れていきたい事業や目指している目標などはありますか?

超高齢化社会に伴う、ゴミ出し難民対策とゴミ屋敷対策、不法投棄対策を考えるために、loTを活用したゴミ収集システムの開発をすることにより、ゴミを溜めない、溜めさせない方法を考えていきたいです。それに伴う運搬ルートや定期回収ルートにAIを用いて、円滑な運行を図り、燃料費とCO2排出量を削減し、地球と人に優しいDX推進企業を目指したいです。
作業員の高齢化と人材不足が進む中、最終的に家庭のゴミ処理に関して、行政では賄えなくなると思います。ゴミ処理予算の一部民営化を目指し、市場拡大を図り、その礎となる企業になりたいです。

社長個人が目標としていることなどはありますか?

私の人生、まだまだこれからですが、良いことも悪いことも色々とあると思います。会社経営での失敗と苦労、遺品整理から学ぶ人生論、オタク気質を生かした企業分析等を、面白おかしく若い方々へ伝えられる人になりたいです。
個人的にアパート経営をしながら、不動産投資をしております。60歳までには、購入物件の支払いを済ませる予定です。法人になる前にマイホームを購入したのですが、当時はお金がなかったので、とても小さい家でした。会社の業績が上がったのと同時に増築をしたのですが、過去に設計士を目指した私だけに、完璧には納得がいかなくて…。住宅ローンが終わったら、私が所有した不動産を全て売却して、私が提案した設計で、もう一度マイホームを実家に建て直したいなと考えております。
その後、時間に余裕が出来たらキャンピングカーで、日本全国を巡りたいというのもありますが、とりあえずは道の駅スタンプラリーの全国制覇でもしようかな(笑)。昔、妻と新婚旅行がてらに、青森から福島までは頑張ってチャレンジしてみたけれど、仕事をしながらの東北全部は難しかったです。

商工会へ対する、要望や想いなどはありますか?

滝沢市内にどういった会社があるのか、よく分からない会社があります。だから、こういったインタビューや紹介も良いと思います。どんな人が会社を経営しているのか、どんな事業をしているのか、知ることが出来ますし、この交流から各会社の仕事の懸け橋になる機会が増えたらいいと思います。
商工会青年部に入部したのは10年前かな…。小野寺部長から高橋部長(たきざわのひと5回目の方)に切り替わる時だったから、法人になる前からずっと居ると思います。三役の経験はしていませんが、常任(理事)まではやりました。表に出るのは好きではなかったし、出たがらない方なので、ひっそりと裏で操作する闇の組織的な(笑)、要するに部員のフォロー役に徹しました。あの当時の青年部は、色々と大変で濃かったです。一気に部員数も増えましたし、あとはご想像にお任せします(笑)。そこでの活動や経験を通して、仕事からプライベートまでの横の繋がりを得ることもできましたし、なによりもお金では買えない「仲間」を得たことに、とても感謝をしております。

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