

はじめに
【妊活・温活・フェムケアサロンpulito】
住所:滝沢市牧野林876-23
①サロンワーク
②インナーケアサポート
③講師業
④講師養成業
⑤最先端事業
【経営理念】
◎女性が自分の身体に目を向けるきっかけになるために
◎健康的に美しくなって自分に自信を持つために
◎年齢だからと諦めずにもっと人生を楽しむために
◎おまたケアをもっと身近に感じてもらうために
◎好きな仕事を好きなまま続けるために
活動をしています!
短大卒業後20歳からエステ業界に身を置き、長年女性の身体と向き合ってきました。
そして、身体と心の関係・自分への意識が変わることで、女性は別人のように変われることを知っています。
女性はもっと輝けるし、輝くことでみんながハッピーになれる!
わたしはそれを自分自身で体現して、そんな女性を増やすお手伝いがしたい!
そんな思いで活動をしています。
わたしの中で①〜④は女性が自分を好きになり、輝くきっかけになるためにわたしができる最大限のサポート、ライフワークと考えています。
【座右の銘】
笑う門には福来る
INTERVIEW
地元は大船渡市です。両親は飲食店を営んでおり、5歳上の兄と4人家族で育ちました。「女は愛嬌」と言われて育てられたので、その通りに育ったのかなぁとは思います。ただ、小学校から高校まで、どういうわけか同性の先輩に嫌われやすいタイプで、結構いじめられてしまう期間が長かったです。それこそ、呼び出されて…みたいなこともありました。生まれは昭和なので、そういうこともありましたねぇ(笑)
その経験があったので「なんでこの人はこうなんだろう?」「どうしてこういう風に考えて言ってくるんだろう?」といった感じで、人の心の動きとかをよく考える子どもではありました。
実は、スポーツやクラブ活動は一切やってこなくて。私って結構スポーツをやってきたように見られるんですけれど、何もできないんです!文化部の吹奏楽部でトロンボーンを吹いていました。運動音痴なんです。しかも、趣味がないことも結構なコンプレックスだったので、去年の10月からフラメンコを習い始めたんです!個人レッスンの場所を探して、習い始めました。趣味が欲しかったのでやっと出来ました(笑)
運動とかは全くできなかったけれど、大人しい学生生活だったかというと…そうではなくて。何もしていなくても目立ってしまうのもあって、先輩方からは良く思われないという(笑)そういうこともあって、同性の人と関わるのは余り得意じゃなかったけれど、就職もエステでその後もずっと携わっているので、何かやっぱりご縁があるのかなぁと感じています。

高校卒業後は、東京の短大へ進学しました。
短大は、心理学を専攻しました。ただ、心理学を職業にするとなると、6年通わなければならないので、臨床が取れないとかがあったので職業としては考えていなかったです。それでも、人の心の動きや深層心理には興味があったので、心理学を学びました。両親からは、短大を卒業後は岩手に帰ってくることを条件に、進学をさせてもらいました。なので、最初は短大の寮に入れさせられちゃって(笑)、でも勝手に退寮してしまい、それも事後報告でした。東京小平市の学校敷地内に寮がありました。寮の部屋は個室ではあったんですが、門限が22時でしたがお風呂は大浴場だったので、21時までに帰らないと入れなくなるんです。もう、それが本当に嫌で(笑)「マンスリーアパートを契約し、退寮手続きも取りました。最初の賃料も2か月無料のところに決めました!」って。今、自分が親になって、あの時の両親の気持ちを考えたら、なんてひどいことをしてしまったんだろうと…。後で聞いて知ったのですが、2年間分の寮費を先に納めていたと。月の寮費が確か9万円とかだったので、いくら当時知らなかったとは言え、とんでもないことをしてしまったなと。
それ以外は、本当に楽しく通い、羽を伸ばしてました。「東京に行く」というのは決めていました。岩手から出る、東京に行きたいっていうのは、多分小学生の頃には思っていました。それというのも、母の実家が新潟で、夏休みとかの長期休みに新潟に行く前に、先に東京に寄って遊んでから新潟に行ってました。叔父が東京に住んでいたのもあるんですけれど。だから、東京の原宿だとか渋谷とかで遊ぶのがもう楽しかったし、好きでした。
所属していたサークルはインカレ(外部サークル)に所属していました。ギャルサーみたいな。イベサーと言われるイベントサークルで。なので、小平市から週2とかで渋谷に集まっていました。片道電車で1時間かけて行きましたね。それを当たり前にやっていたけれど、やっぱり門限があるから。ただただ楽しい平成ギャルを満喫していましたね(笑)
大学卒業後は岩手に帰るのが両親との約束だったけれど、帰る気は無く。そのためにはどうしたらいいかな?と考えて、誰もが知っている大手企業に就職を決めてしまうことだ!内定をもらえば帰って来いと言えなくなる!とひらめいたんですが、一方でデスクワークとかは無理だと思っていたので、自分で興味があり、手に職も付けたいという希望もあり、エステ業界を選んでTBC に内定が決まりました。
ただ、入社してからが本当に大変でした(笑)社会人1年目の最初の頃の記憶がほぼ無いです。入社して1か月は、徹底してマナーから何から詰め込まれましたね。本当に厳しかったです。女性だけの会社だったし、サロン業務以外にも練習も当然あり、毎日終電帰りでした。休日も出勤してました。カルテ整理とかも終わらせられないので。だから、当時の写真とかもほとんど無いんです。それこそ、今まで運動らしい運動もしてこなかったので、あの時期があったから、ある意味体育会系マインドとういか、良い悪いは別にしても、そういうのは鍛えられたなぁと感じています。
後から聞いて知ったんですが、TBCは美容学校などの専門的な技術を取得している方は採用していなかったそうです。変に手癖が付いているというか、少し勉強をしていると逆にTBCの技術を覚えるのに支障が出てしまうということのようです。まっさらの人を希望していたそうです。

入社後に、技術の面でどこのTBCのサロンをお客様が使っても、同じ技術のレベルを提供しなければならないこともあり、大体が機械施術になるんです。それに段々と違和感を感じてきて。このまま最新の機械の技術をを覚えたとしても、それはTBC独自の機械でしかないから、いずれは独立してサロンを経営した時に何も残らないなぁと感じていたのと、しんどいなという思いもあって、TBCを辞めて別のエステ会社に再就職をしながら、社会人スクールで学びました。それは、リンパトレナージュという内容なんですけれど、そこでボディとフェイシャルの資格を取得しました。その際に、その学校の講師にも誘っていただき、勤めながら講師もしていずれ独立をしようと決めた時に、東日本大震災が起きました。
実家は大船渡なので。両親とも何日も連絡は取れないし、あの映像を見てしまっているし…。そこで世界観がガラッと変わったのはあります。先にも少し触れましたが、両親に迷惑だけかけてきて、私は何もできていないという思いがあったので、震災がきっかけで大船渡に帰ろうと決めました。これが親孝行のチャンスだと思いました。両親と連絡が付くまで、もう最悪の考えしか浮かばなくて。だから、10日後くらいに両親と連絡が取れた時には、本当に嬉しかったです。
大船渡への公共交通機関がまだ無かったので、4月にまず盛岡までのバスが通ってるというのを見つけて盛岡まで出て、今度はそこからお友達に盛岡まで迎えに来てもらって、実家に帰ったのが最初でした。その後一旦東京に戻り、退職や引っ越しの手続きを済ませ実家に帰って来たのは夏くらいでした。
父のお店が被災して無くなってしまったのですが、家は残っていたので再建するということになり、それを手伝うことも決めていました。自宅の庭に焼き鳥屋のお店を建てました。今もやっていますよ。
実は、旦那さんはお店に来ていたお客さんです!出会いはそこです(笑)
旦那さんも元々は中央で働いていたんです。出身が盛岡なので、震災復興の枠で岩手に来て、そこから大船渡に派遣されたそうです。そして、仕事終わりにうちの焼き鳥屋に食べに来ていて知り合いました。そして岩手に残りたい人はそのまま岩手で働けるということになって、異動を願い出て完全移籍のような形で今に至りますね。
第一印象は、「あんまり喋らない人だなぁ」と。寡黙で1人で食べていたので、私からよく話しかけちゃってました(笑)3歳年上なんですけれど、年齢が近いのもあって話も合ったというのも大きいですかね。
話は戻りますが、エステも大船渡の実家の一室で始めました。その時は、リンパトレナージュとボディとフェイシャルですね。日中はエステをやって夜は焼き鳥屋を手伝って、二足のわらじでした。その後に、大船渡市内のネイルサロンの一角を借りて、定期的にエステもやるようになりました。なので、大船渡に戻ってからもずっとエステのお仕事は行っていたんです。いずれ結婚して自宅を持ったら、その一室でサロンをやるというのは自分の人生設計の中にあったので、結婚前から旦那さんにもそのお話はしていたし、「それいいね」って理解してくれたのもあり、旦那さんとの結婚を決めたのもあります。家でお仕事をすることに理解をしてくれたのが大きかったです。家を建てる時はもう仕事部屋を確保!って言って建てました。滝沢に来たのは5年前になります。旦那さんの実家が盛岡で近いというのも決めてでした。
ただ、最初の1年間は単身赴任でした。異動にならなくて、まさかの。新居への引っ越しの時に、次男はお腹にいるという状況でした。いわゆる「ワンオペ」でしたね(笑)それで、下の子が無事に産まれ、3歳になる頃に事業を始めようかなと思っていたんですが、まぁじっとしていられなくて。次男が1歳の時に始めました。自宅開業なので、最初はリンパトレナージュなどはせずにできるものを!と思って、よもぎ蒸しサロンを始めました。よもぎ蒸しだと、お客様に付きっ切りということではないので、子どもがまだ小さくてもできるなと思い始めました。
よもぎ蒸しを始めたきっかけは、二人目がなかなか授からなくて「妊活」を行う過程で、それを知りました。ただ、盛岡に当時はよもぎ蒸し専門のサロンが無かったんですね。他のエステとの組み合わせでできるサロンはありましたが、それだと拘束時間も長くなるし、お値段的にも高かくて「それなら、よもぎ蒸しだけをサクッとできるお店があったら、嬉しいんじゃないかな?」という思いが、私の中で大きくなりました。最初は自分のために始めたことだったけれど、これを自分だけでするのは勿体ないと思って、場所もあるんだから始めてみよう!となりました。
よもぎ蒸しは、滝のようにドバーっと汗が出るので気持ちが良いんですよ。身体が温まるのはもちろんのこと、血流も良くなるので浮腫みが取れますし、ターンオーバーを促すので肌がきれいになるなど、良いこと尽くめです。うちのサロンは女性専用なので、男性は受け付けていませんが、男性もできなくはないです。ただ、この後お話させていただきますが、「妊活」においては、男性は睾丸を温めるのは良くないので、向いていません。今、サウナブームがありますけれど、「妊活」の観点で言わせてもらうと、余り好ましくはないですね。女性は身体を温めた方が良いですが。
抱っこ紐で次男をおぶり、長男の手を引きながら近所に自作のチラシを配ったりしてましたね。そんなこともあって、商工会さんへ初めて行ったのが2年くらい前かな?こんな個人事業で門をたたいてもいいものかと、相談するのもおこがましすぎやしないかと思っていました。私の中では「商工会」というものに対してハードルが高かったです。そんな感じだったので、スタートアップ補助金とかそういう類のものも何も知らなかったんです。ただ、やろうと思ったらすぐに始めるので、行動力はあると思います!
もう、周りに頼っています!最初はできませんでした。それこそ、自分が勝手に好きで始めた仕事だから、頼れないっていう考えがありました。ただ、子どもの成長のタイミングだったり、自分もサロンのメニューを増やしていき、出張やお勉強会もあるので、やることがどんどん増えてきて。そうなるとやっぱり、いっぱいいっぱいになってしまって。それからですね。旦那さんの両親の手を借りたり、旦那さんにも協力してもらうようになりました。でも1番は、子どもたちに頼っています!「ママ大変!できないよ~、助けて!」って言うと、張り切って手伝ってくれるんですよ(笑)今は、自分の洗濯物は各自で畳んでくれるようになりました。とても助かっています。洗濯物を取り込む時に、それぞれの籠を用意して分けておくので、そこに洗濯物を入れて「自分のは自分で片づける」っていうルール化をしたら、畳んでしまうまでをやるようになりました。以前は「ママ、靴下どこ??」「シャツが無い!」って大騒ぎだったのが、今は自分で片付けているので、それがなくなりました。一気にタスクが減りましたね!ちなみに、旦那さんもやってくれるようになりました(笑)

サロンの他に「フェムケア」といわれる、女性特有の健康やライフスタイルに関する問題を解決するための講座を始めました。2025年からはそのフェムケアの講師養成講座も始めたので、サロン以外の部分を今年は頑張ろうと考えています。
女性はフェムケアをすることで、身体はもちろんですが心も安定して整います。とても良いことしかないのですが、日本人特有のお股の話は恥ずかしい、憚れるとか、隠すものという潜在意識が強すぎて、それがもったいないと感じています。女性だけの器官で生命を生み出す場所でもあるから、そこをきちんとケアすることで変われるということを、私だけでは伝えきれないこともあると感じたので(世代なども鑑みて)講師の養成に力を入れたい。そして、フェムケアが当たり前で女性が生きやすくなるように、知識も広めていきたいと考えています。
セクシャルなイメージとして捉えたり、若い人向けじゃないかと思われがちですが、実際に必要な世代は35歳以降の女性なんです。そろそろプレ更年期に差し掛かる年代の方にこそ必要です。年齢を重ねても臓器としてはずっと残るわけで、何もしていないとただ劣化していくだけです。だからこそ、更年期障害と言われる心の波であったり、ほてりなどの身体の変化も緩やかに過ごしていける効果があるので、女性の皆さんに知って欲しいという思いです。
お薬があるからいいですという方も、なかにはいらっしゃいます。ただ、お薬って対処療法なんです。根本的な治療をしているわけではないので、ホルモン調整を自身ですることにより、薬を飲まなくても落ち着いて生活できたら良いよねという思いです。お薬は強制的にホルモンのバランスを整えているだけで、実際は脳から指示を出して働くものなんですね。なので、先ほどの話に戻りますが、お薬を止めると脳が指示を出す方法を忘れてしまうんです。そうなると、様々な弊害も出てきてしまうので、きちんとしたケアをすることでお薬に頼らなくても良くなります。
講座はオンラインで行うことが多いです。実際のケアの仕方などは、模型や道具を使って、具体的な説明も行います。骨盤底筋を鍛えるマッサージの機械もあるので、その使い方や説明も行います。女性がよりよく生きていくための方法として、このことを伝えていく機会を増やしていきたいと考えています。
今度、渋民で「オモロー教育フェス」に参加させていただきます。そこで、命の話の紙芝居を読んできます。前回は、子どもたちはもちろんでしたが、教育者側の割と年配の方や男性の方に響いたようで、興味を持っていただけました。「あ、こういう観点って必要だよね」って声もいただきました。この時の経験から繋がりもどんどん増えて、地域の小学校のPTAの方からもお声をかけていただき、活動が広がってきました。養成講座もしかり、事業を軌道に乗せ、今まで以上に多くの女性に喜ばれるお手伝いをしていきたいと考えています。
